““日本橋の潤滑油となる場をつくり上げる”
BETTARA STAND 日本橋 マネージャー・熊谷賢輔

日本橋エリアを盛り上げる強者たちの挑戦(6)

 ”街と一緒に創る・コミュニティビルド”をテーマに掲げる株式会社YADOKARIが新たな施設として立ち上げた「BETTARA STAND 日本橋」。べったら市で有名な宝田恵比寿神社の隣という立地を生かし、「人が集まる神社境内のような安らぎ、賑わい」をコンセプトに飲食店・兼コミュニティスペースとして開業。これまで日本橋エリアに来なかった人々を呼び込み、地元の企業や居住者との交流ができるスペースを運営することでエリアの活性化に努める。

 今回はBETTARA STAND 日本橋の店長・兼総括マネージャー熊谷賢輔さん(以下:熊谷)にBETTARA STAND 日本橋を始めたきっかけと、これからの日本橋についてお話を伺ってきました。(インタビュアー:坂田優里)

熊谷賢輔さん プロフィール
商社で6年間勤務をした後、2013年に自転車で日本一周を実行。2015年より新しいワークスタイルを実現させるため、仕事をしながらアラスカ→カナダ→アメリカ西海岸→メキシコ(バハカリフォルニア半島最南端ラパスまで)間、距離にして11,000kmを11ヶ月かけて自転車で走破。帰国後はYADOKARI株式会社代表である、さわだいっせいからの熱烈なラブコールに折れ(一度フっている)、BETTARA STAND 日本橋プロジェクトに参加し今に至る。本屋を併設したイベントキッチンスペースとして、今までにない形態の店舗マネージャーとして、日本橋から新しい文化の発信をしたい。

経験の枠を超えられない

坂田:もともとは約3年で世界を一周する、という計画だったと思いますが1年弱で帰国されていますよね? そのきっかけは何だったんですか?

熊谷:旅への期待値として大きかった“自分の経験の枠を超える”ということができなくなってしまったんです。最初の1〜2ヶ月は新しい食べ物、生活、文化に触れたことで、とてもいい刺激になり楽しめていました。

しかし、ある時から新しいものに出会っても、新しいものに出会うこと自体に慣れてしまって、それが刺激にならなくなってしまったんです。未体験な出来事に対して、自分が経験してきた枠の中で解釈ができるようになってしまっていたんですよね。そうなった時に、あと2〜3年続けても同じことの繰り返しなんじゃないかと思ったんです。このまま続けても意味ないなって。

坂田:新しいものに出会うって、難しいですよね。新しい国や文化に触れればいいというものでもなく、人との出会いだったり、置かれている環境だったりでも異なってきますし。

熊谷:そうなんですよ。経験の枠の外のことをやるには、まずは世界を見るべきだと思っていたんですが、世界に行くことだけが正解ではないという気づきでもありました。

BETTARA STAND 日本橋との出会い

坂田:その後、帰国されたのが5月で、BETTARA STAND 日本橋のオープンは11月ですよね。かなりの急展開だったと思うのですが、今回のお話はいつ受けたんですか?

熊谷:話をもらったのは7月ですね。プロジェクトが本格始動が8月です。もともとYADOKARIの代表であるウエスギとは大学時代からの知り合いで、彼らの考えていることに共感する部分もあったので一緒に仕事をしてみたいな、という思いはあったんです。それに、帰国してから自分に自信がなくなっていたので、一歩前に進みたい、何か行動を起こしたい、と思っていたので挑戦することを決めました。

坂田:その”自分に自信がなくなった”というのはなぜだったのでしょう?

熊谷:自分で世界一周を辞めたのに、それを腹に落としきれていないというか、どこか納得しきれていなくて。旅に出る前や、旅をしているときには持っていた確固たる自信がなくなり、自分の内面との落差に落胆してしまっていたんです。

旅を止めるという決断をした理由は言葉では説明はできます。しかし、理由を話している自分の頭の中では「お前は本当にそう思っているのか?逃げたんじゃないか?」と問いただしてくるんです。自分で矛盾に気付きながら説明するのはツライですね。日本に帰国した時はカッコ付けて話していましたが、今は包み隠さずにその矛盾の気持ちを話しますね(笑)

旅をやめたことへの想いは後悔?

坂田:今はその”自信”というのはどうですか?

熊谷:そうですね、まだ自信を取り戻していないのが事実です。しかし、今は日々新しいことだらけで、頭がいっぱいです。飲食店で働くこと自体が初めてなので、もう本当に初めてだらけのプロジェクトなんですね。とくにオープンしてからは、よく旅をしていたころの感覚が呼び起こされます。きっとこれも僕の経験の枠の外なんですよね。別に世界にこだわらなくても、自分のやっていきたいと思っていたことはできるんだな、と実感はしています。

ただ、まだ「旅を辞めてよかった」と言い切ることはできません。それはきっと、ここが日本橋の新たなランドマークとして皆さんに愛される場所になったら言えるんじゃないかな、と思っています。

坂田:そうなんですね。でも、実際にいろいろな方たちの意見を取り入れて具現化していく、というのは結構大変な作業だと思いますが…?

熊谷:もともとたくさんの人を巻き込んで、何かをするというのは好きなんですよね。会社勤めのころ、札幌に転勤になって、友達を1から作らなきゃいけないという時に、同僚と2人で、お花見とかバーベキューとかイベントを開いて30〜40人集めていました。1人じゃその人数を集めるのは大変だけど、人が人を呼ぶ、というか1人が2〜3人集めると、その集まった人たちがまた違う人を呼ぶ、という風に連鎖していくんですよね。そうすると30〜40人って簡単に集まるんですよ。

2人で企画するだけで、1×2ではなく1×2×3×…という風にどんどん大きくなっていくんです。だから今回のプロジェクトも、スタッフの子たちにもそれぞれがその「1」となって新しいアイディアを出し合い、たくさんの仲間を巻き混んで欲しいと思っています。

目指すべきは小さなコミュニティつくり

坂田:「BETTARA STAND 日本橋」はそのように日本橋の人たちや、それぞれが持つ繋がりやコミュニティを巻き込んで、1つの村を創っていくイメージで場を盛り上げていこうとしていると思いますが、実際にオープンしてみて日本橋の方たちとの繋がりはどうですか?

熊谷:まだ、期待に応えきれていないというのが現状だと思います。嬉しいことに自分が思っている以上に周りが期待してくれているんですよ。その分、不安は減ったんですが、期待に応えるためにも面白いことをどんどん実現していかなければな、と思っています。店長としてお店に立つことだけではなく、まちの人たちと真っ裸で付き合い、接点をつくって、どんどんまちを巻き込める存在になりたいですね。

坂田:今の目標はなんですか?

熊谷:まずはここをよくすることですね。Backpackers’ Japanの本間貴裕さん(コチラを参照)もおっしゃっていましたが、まちを盛り上げるためには「まちづくり」が先行してしまってはいけないんです。いいものを作れば、それが自然と人を呼び、結果的にまちをよくするんです。

今はまだ、この場所も、自分がやってきたことも、それぞれが持っている繋がりも、全部個々の点なんですよね。ここが日本橋の潤滑油となってどんどん新しいことやイベントを実践していき、点と点を結んで1つの線上に繋げてけるようになりたいです。大きなものではなく小さく。いずれそんな小さなコミュティが繋がり、大きくなっていくのが理想ですね。

まとめ

まだまだ駆け出しのプロジェクトではありますが、熊谷さんをはじめ、BETTARA STAND 日本橋に関わっている人たちを中心に、毎週末イベントを行うまでに至っています。1つの場所、もの、型にとらわれることなく、アイディアを1つ1つ具現化していく。実際に形にしていくことで新しい出会いが生まれ、新しいアイディアが生まれる。旅で培った実行力を生かし日本橋エリアに新しい風を吹き起こしてくれそうです。

日本橋を訪れたときには、熊谷さんをはじめ、このプロジェクト関わることを決め、日々BETTARA STAND 日本橋に携わっているスタッフの方たちに会いに、ぜひ訪れてみてください。