「アーティスト=実践者」が実現させる公(パブリック)の世界。N STUDIO 代表・新野 圭二郎インタビュー【前編】日本橋エリアを盛り上げる強者たちの挑戦(4)

2003年から東日本橋エリアにて、「公(パブリック)」を実現するためにアートを方法として精力的に活動をしてきたアーティスト。2011年にアート・クリエイティブ拠点「Creative Hub 131」を、2013年には新たなパブリックの実験場として「PUBLICUS × Nihonbashi」をオープンしています。2015年にはアートセンター「NICA : Nihonbashi Institute of contemporary arts」を、本格的にオープンさせ、館長として地域組織と連携をしながら歴史を鑑みたまちづくりをしています。

今でこそ当たり前になったシェアオフィスや、不動産リノベーションを、昔から事業に取り入れて活動を行ってきました。時代に先駆けてきた株式会社N STUDIO代表取締役 新野圭二郎さん(以下 新野)が目指している「公(パブリック)」についてお話を伺いました。(インタビュアー:YADOKARI 熊谷賢輔)

株式会社N STUDIO 代表取締役・新野 圭二郎プロフィール
N STUDIO,Inc.代表取締役 一般社団法人日本橋アーカイブ代表理事 「れきしをつなぐ」をキーワードに、東京日本橋を更新するアーティスト。 1975年愛知県生まれ。2003年にN STUDIO,Incを設立し、それ以来日本橋大伝馬町にスタジオを構える。 2011年以降は、社会彫刻活動を本格化させ、2015年にはアートセンターNICAのチーフディレクターに就任。 2017年、日本橋の繁栄の記憶をデーターベース化する一般社団法人日本橋アーカイブを始動し代表理事に。 日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会2020年委員会委員 / EDO-FES in べったら市 ディレクター。

熊谷 本日は宜しくお願いいたします。いきなりですが、私は新野さんをアーティストだと思いますが、ご自身の職業は何だと思われますか?

新野 僕は、「実践者」だと思っています。それは新たに社会を更新したり、新しい社会の仕組みを創ったりする人。だから現場に居て、自分がプロデュースする場所を持って、世の中をより良くしていきたいと思って活動している。こういう経緯で自分のことを実践者だと呼んでいますね。アーティストについて考えていると、社会彫刻という言葉が出てくるんですけれど、もうここまで実践を継続していると、アートで説明する必要もなくなってきます。

アートで説明すると、アートの世界の人達は納得してくれますが、そのような人達だけに強く説明する必要は無いと最近は思っています。今はもっと直接に新たな社会を創って行く様な公(パブリック)な活動をしたい。そういうことに対して忠実になっているので、アートがどうだというよりは、公をやるということですね。

熊谷 ちなみに公(パブリック)というものを言語化すると?

新野 公は、僕の活動の中で考えてきたことです。例えば、日本橋の旦那衆が江戸時代に寺子屋をつくって、自分達の地域の子供の教育を自分達自身でやるのが普通でした。お金を出し合って作る。正しく公ですよね。地域の子供達を自分達の手でどうやって教育をしていくのかという考えに、僕はシンパシーを覚えます。その地域の仕組みを作ったり、共有したり、子供達の未来を創るのは究極のまちづくりだと思います。

止むに止まれずの危機が時代を先駆けるキッカケに

熊谷 地域の人同士が繋がることが重要ですね。最近流行となっているAirb&bやUberなどのシェアエコノミーや共有・共感の場については、どのように思われていますか?

新野 日本では、明治になって、個人主義の概念が芽生えました。それまで村や町で重んじられていた共同体型の社会が、都市部を中心に徐々に個人主義型の社会に変わっていきました。そして、今は近代の個人主義の反省に入っています。共同体型の社会から、個人の時代に大きく振れたものが再び共同体型の社会に戻っていく。これが、Airb&bやUberのシェアという概念。それが、ローカルやコミュニティなどのシェアという話になっているんだと思います。

熊谷 2003年からシェアエコノミーやリノベーションを実践されたのは、かなり先鋭的でしたよね?

新野 僕は1999年(ロンドンに行く少し前)から、すでに人とシェアして住んでいました。それ以前に(1997年頃)、下北沢にある長屋の2階建てをリノベーションをして住んでいました。ロンドンに行ってからも、帰ってきてからもずっとシェアをしていました。ほとんどシェア。それがカッコいいからではなくて、お金がなかったから(笑)。 アーティストの人生を歩んだので、お金が無い中でやっていかないといけない。止むに止まれずシェアするしかない(笑)

日本橋で初めてのプロジェクトである内田ビルの時も、コンセプトは相互扶助のコミュニティをつくることだったんです。仕事や生活に関わる人達が集まり、みんなで助け合って生きていく。たまたま僕がアーティストになって、とても大変な状況を経験してきたのが、今の世界や日本の経済がよくない事にシンクロしているだけです。

今、シェアが流行っているのは、個でやっていくのが大変だから。助け合っていくというのが、違和感なく思える時代になったんです。僕はラディカル(急進的)に人生が始まったので、僕の人生は人よりも前倒しになったという状況でした。

熊谷 かなり先鋭的…とんがっていますね(笑)。

新野 まだコミュニティと呼ばれる今の様な時代ではなかった頃から、そんな人生を選んだものだから。例えばリノベーションも、安くて広いところを借りることができるから。『ビンテージのビルがカッコいいからスタイルで住んでます』とかではなく、もっと危機迫るものがありましたよ(笑)

アートは方法論

熊谷 今は時代を先取りしている新野さんですが、アーティスト時代に挫折をした経験はありますか?この人には勝てないなぁとか。

新野 日本では例えば合田誠さん。彼はすごいアーティスト。あの方には勝てないと思いますし、他にも明らかにすごい方達が沢山います。ただ、勝てない試合をする必要はありません。僕がどんなに頑張ったって、合田誠さんの二番煎じにすらなれない。だから与えられた環境でどうやったら面白い活動になるか、という考えを持つ必要があります。ナチュラルボーン(生まれつきの才能)で活動しているというよりかは、やっていく中で自分が戦える試合をしてきた、ということですね。

熊谷 それでも理想を追ってしまい、右往左往しているアーティストも多いと思います。そんな中、理想を切り捨てられたのは凄いですね。

新野 僕とっては公(パブリック)が目的であり、アートは方法だとハッキリと明確に分けることができたからです。過去に、僕と同じように公をやりたい人で色んな方法論を持っている人達が集まる機会がありました。例えば、千葉県のアトリエにある農園で有機野菜を作りながら経営コンサルタントをやっている方とか。

彼らはみんなソーシャルミッションを持っていました。そして、ミッションを達成する方法として農園で有機野菜を作ったり、それ以外の方法を持っている人がいたりと。一緒にプロジェクトをやっていくと、僕が信じていたアートという方法論よりも、社会彫刻において有効な方法論がたくさん見つかったんです。

特に印象的だったシーンがあります。Creative hub 131のオープニングパーティーをやった際に、町会の方々にもお越しいただきました。僕はアートの作品を1階に飾っていましたが、それよりも採れたての有機野菜を持って行った方々が、みんな喜んでいました。アートよりも有機野菜の方が幅広く人々に刺さると分かった時、すごく衝撃でした。

熊谷 正直、私もアートには疎いので、町会の方々と同じように有機野菜にテンションが上がってしまうかもしれません(笑)

新野 そもそも「現代美術はよく分かりません」という層には、まずは現代美術の面白さから伝えていかなければいけません。しかし、有機野菜を手に取り、生産者とつながり喜んでいる姿は目の前にありました。僕がその当時持っていなかった方法論でしたし、あっという間にたくさんの人々に希求できる光景は、ショックでした(笑)

色んな現場の実践者として、たくさんの人達と出会っていく中で学んできたことは、すごく多いです。さっきの質問の、僕がアーティストとしてどういうポジションにいるのかというと、公を実践することが最上位にあって、方法論として現代美術(アート)がある。

例えば、PUBLICUSのような場を運営することもその一つです。他にも、本年べったら市のお祭りの時にEDO FES in べったら市を実行して、訪日外国人に日本文化・江戸文化・町人文化を伝えていくようなこともあります。公を実現するというビジョンに対して、様々な方法論を実践をしていくことによって学びが増え、同時に新しい方法論が増えていっているのが今の状況です。それを多くの方とナレッジ(知識)を共有していけば、まさしく公の実現につながる。こんな良いことはありません。

またしても。止むに止まれずのステップアップ

アーティストでありながらアートは方法でしかないと言い切る新野さん。。彼が実現しようとしている「公(パブリック)」を目指す方法は無限に存在するし、だからこそ問題を解決するための方法論の数は増やさなければいけないとおっしゃっていました。

「実践者」として数多くのプロジェクトを実行してきたからこそのお言葉。ここまで来るには成功体験だけではなかったようです。

後編は、日本橋大伝馬町に「PUBLICUS」をオープンさせた経緯や、これからの日本橋を盛上げるためには何が必要かについての話をご紹介いたします。(後編記事はコチラ

施設:「PUBLICUS × Nihonbashi」
〒103-0011東京都中央区日本橋大伝馬町13-1
http://publicus.jp/

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PUBLICUS × Nihonbashi

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PUBLICUS × Nihonbashi 35.690425, 139.780606 〒103-0011東京都中央区日本橋大伝馬町13-1この記事のURL:http://bettara.jp/magazine/interview/1064/東京都中央区日本橋大伝馬町13-1 (ルート検索)

 

「Creative Hub 131」
http://1x3x1.jp/

「NICA : Nihonbashi Institute of contemporary arts」
http://nicatokyo.com/